今日はとても月が綺麗だ。
俺はふらふらと誘われるままに部屋を出た。
月の引力
この城へ来て、もう少しで一ヶ月経つ。
なんとか広い城内の大まかな構造は覚えられたが、まだたまに迷子になったりもする。
そんなときは恥ずかしながら兵士の方なんかに案内してもらったり。
迷わずに行ける自信があるのは、図書館と自分の部屋、食堂と屋上くらい。
そして俺は今屋上にいる。
暗いし、一応眼鏡をつけてきたから屋上へ続く扉に控えていた兵士さんに色がバレることはなかったと思う。
こんな夜更けにどうしたのかと怪訝に思っただろうけど、どうしても近くで月が見たかった。
お願いすると不思議な顔をしつつも通してくれた。二人控えていたうち、一人が少し離れた所についていてくれるけど、なんだか周りがぼんやりしていて、あまり気にならなかった。
そっと眼鏡を外して裸眼で月を仰ぐ。
少しオレンジがかった大きな月。今日は満月。吸い込まれそうなくらいの美しさ。
地球でもあまりこんな大きな月は見れないだろう。
やっぱり違う世界だから、兎の餅つきは見れないけれど、なんだか落ち着く。俺は太陽より月が好きだ。
昔から月には心を落ち着けるなにかと同時に、引き寄せられるような、何とも言えない魔力があると思う。
不眠症は相変わらずで、ここの所月を見ながらぼんやりすることも多い。
けれど抜け出したのは初めてで、満月も初めて。
今の季節は、日本でいう秋に近い。快適な温度に湿度、ゆっくりと色づく木々。
もし、まだ向こうにいたならば、十五夜の月見でもしていただろうか。
そっと、なんとなしに月に向かって手を伸ばす。
そういえば、小さい頃、父さんの肩に乗って、一生懸命に取ろうともがいたことがあったっけ。
あの頃もつかめなかったけれど、世界が変わっても月はつかめないみたい。
当たり前のことに少し笑って、俺は腕を下ろした。
「・・・何をやっている」
突然声をかけられて、俺はびくりと肩を強張らせた。
そのまま勢い良く振り返れば、落ち着いたバリトンの主、フォンヴォルテール卿がガウンを羽織った状態で立っていた。
眉間には山脈。入り口の方からこちらに向かって歩いてくる。
その姿が妙にクリアに見えて、ハッと目元に手をやると、やっぱり眼鏡はなく、焦ってポケットを探るけど、それは卿に遮られた。
「いい。人払いした。それより何をしているんだ。この間も倒れたというのに」
・・・・そう。この数週間の間に、浅い眠りだけで体が持つ訳がなく、2度ほど倒れてしまった。
あの時のティアの蒼白な顔と悲痛な声といったら。
もう、申し訳なさすぎる。
そのことを突きつけられれば、どうしようもなくうろたえた。
考えなしにふらふらと、いつのまにか屋上まで来てしまったのだから、言い訳などできるはずもない。
困ったようにフォンヴォルテール卿を見上げれば、眉間のしわが増えた。ご、ごめんなさい。
「その・・・月が綺麗だなと思っていたら、体が勝手に」
「・・・・・・・」
・・・・・黙殺。
「・・・・・ごめんなさい」
項垂れれば、何故が「ふっ」と笑ったような気配がして、顔を上げた。
見れば、フォンヴォルテール卿が口元に手を当ててそっぽを向いていて、表情はよく分からないが、どうやら怒ってはいないらしい。
少しして、卿はゴホンと咳払いして、体勢を立て直すと俺をじっと見つめた。
美形に見つめられるのは何だか緊張するもので、しかもいつの間にやら間が狭まって、卿が手を伸ばせばいつでもビンタできてしまう距離。残念ながら俺の腕の長さでは届かないけど。
見上げるのにあまり苦しくない距離だ。
「・・・・一人では眠れないんだろう?」
不意に発せられた問いは、なんというか確認をとるようなニュアンスで、俺は目を見開いた。
迷惑をかけまいと、俺はまだ誰にも不眠症のことを言っていないのに、どうして知っているのか。
++++++++++++
今夜は、少年にこの話をして確信を得る為に、彼の部屋へと足を運んだ。
仕事は今日一段落し、丁度いいかと、あえて皆の寝静まった深夜に行動に出た。
彼が隠そうとしていることを人の目や耳のある所で聞くのは憚られたし、眠れているのかの確認もあったのだが、彼は部屋にはおらず、私は迷わず屋上へ行った訳だ。
ティーアとの連携はしっかりとできていたため、彼が行きそうな所は把握していた。
そして、案の定屋上に居た少年。
核心をつけば、少年は分かり易く肩を震わせた。
おそるおそる見上げる様子は小動物のようで可愛らしくてたまらん・・・いや!いやいや!今はそうではなく。
「・・・どうして、ですか」
私が少しばかり煩悩と戦っていると、彼がか細い声で訪ねて来た。
「・・・そんなもの、見ていれば分かる」
何度か、彼を見舞いにいった時の様子から推測するのは容易かった。
顔色の悪さと目の下に薄らできたクマを見れば、睡眠が足りていないのもすぐに分かる。
一人では眠れないだろうと思ったのは、私が頭を撫でたり、頬を触ったり、額に手を当てたりすると、面白い具合に熟睡するのからだ。それが何度が続けば、人肌に触れなければ眠れないのだろうと、いやでもわかるというもの。
そう言えば、かあ、と音がするくらい、の顔が一気に火照った。
「えっと、あの!えーと、その」
なにやらアタフタと慌てる様子が可笑しくて少し吹き出すと、びっくりしたようにこちらを見た。
目がこぼれ落ちるんじゃないか、と思うほど見開かれたその目元をすっとたどれば、面白い具合にとろん、とし始める。
それでも何か話そうとする様子に苦笑して、その頬を撫でる。
「明日、話してもらう。だから今は寝なさい、 」
仕方がないから共に寝てやる。
そう言いながらその体をガウンで包んで抱き上げれば、もう睡魔にあらがえないようで、うとうとと頭を揺らした。
「・・・はじめて、なまえ呼んで、くれた」
舌足らずにそういうと、へにゃりと笑って、ついに眠りに落ちてしまった。
その言葉にやや驚き、そういえば面と向かって呼ぶのは初めてかもしれないと、思いいたる。何故かどことなく恥ずかしく、誰も居ないというのに軽く咳払いして取り繕い、踵を返した。
城内に入る前に、一度だけこの少年を呼び寄せた美しい月を振り返って。
20080227